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今井 久(いまい ひさし、1902年(明治35年)7月24日 - 1980年(昭和55年)7月25日〔『日本近現代人物履歴事典』67頁。〕)は、日本の内務・警察・防衛官僚。官選茨城県知事、防衛事務次官。 ==経歴== 東京府出身。専売局官吏・今井譲の二男として生まれる。愛知県立第五中学校、第八高等学校を卒業。1924年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1925年3月、東京帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業。同年4月、内務省に入省し岡山県属となり内務部社会課兼地方課勤務となる。同年12月、休職して入営し、1926年11月、陸軍二等計手となり復職〔。 1927年3月、地方警視・宮崎県警察部警務課長兼保安課長に就任。以後、神奈川県警察部警務課長、石川県工場監督官、大阪府警察部警務課長、警視庁警視・警務部警務課長、佐賀県書記官・警察部長を歴任。1937年8月に応召され1940年1月まで入隊〔。 1940年1月、三重県書記官・警察部長に発令。内務書記官・警保局警務課長、同保安課長を経て、1944年7月、茨城県知事に就任。戦時下の対応に尽力〔『新編日本の歴代知事』255頁。〕。1945年4月、防空総本部次長に転出。内務省調査官に異動し、同年10月に退任〔。同年に退官〔『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』249頁。〕。1946年9月から1951年10月まで公職追放となる〔。1949年、茨城石炭販売社長に就任〔。 1955年、内閣行政審議会委員となる〔。1956年5月、調達庁長官に就任。1957年6月、防衛庁次長、同年8月、防衛事務次官となり1960年11月まで在任。1974年10月から死去するまで国家公安委員を務めた〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「今井久 (内務官僚)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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